西光寺(さいこうじ) 細工町
加藤清正が熊本城築城の折、山鹿から古町地区に招いたお寺で、古町ひいては熊本でも最大規模の大きさを誇るお寺のひとつ。
明治10年の西南の役で焼失するも、明治40年再建。
加藤清正が慶長16年(1611年)に亡くなった折、「西光寺原で葬儀が行なわれた」という記録があり、はっきりとした場所は分からないものの、ここ西光寺一帯だろうと言われています。
五福校区最大のイベント「風流街浪漫フェスタ」(ふるまちろまんふぇすた)では境内が開放され、来場者の休憩処となります。五福小児童がお茶を入れたり、お年寄りの肩叩きをしたりといった光景が見られます。
◎一町一寺巡り案内板より◎
熊本城下の真宗三ヶ寺のひとつ。
当寺は明応年間(1490年代)了宗という僧が山鹿郡片保田村に建立し、永正5年(1508)上洛して本願寺から西光寺の寺号を得て、3代目了勧の時に、加藤清正公の命により現在地へ移転しました。
県内の浄土真宗として最古の歴史をもっています。寺伝によると、西光寺の伽藍[がらん](寺院の主要な建物)は熊本城築城の余材で造られ、加藤清正公も度々参詣されており、清正公奉納の『一切経[いっさいきょう]』(仏教の百科事典)も大半が現存しています。