宗禅寺(そうぜんじ) 細工町
寛永9年(1633年)、細川忠利の肥後入国に随伴した僧・宗善が創建したお寺。
閻魔大王像を祀っていることから、毎年8月16日に「五福ふれあいまちづくりの会」により「閻魔まつり」が開催されています。
この日は、本堂に「 総社神社 」の 閻魔像 が運び込まれ、参道には五福小児童手作りの灯籠が並びます。境内にはカキ氷や金魚すくいなどの出店が立ち、近隣住民でにぎわいます。名物の閻魔カレー(辛口)も好評です。
宗禅寺に通じる細い道路は「羅漢小路」(らかんしゅうじ)と呼ばれています。宗善が羅漢寺の僧だったことから、宗禅寺は創建直後、羅漢寺とも呼ばれていたためと言われています。
ちなみに羅漢小路は熊本市の市道1号線となりました。
宗禅寺ができる以前のこの土地は、隈本城城主・城親賢の茶屋(別荘)→城氏死後は旧臣平川氏が草庵を建て、天神様(菅原道真)を祀りました。
天神様は、宗禅寺ができた後も境内に残りましたが、明治元年の「神仏分離令」により細工町へ移され、「 白梅天満宮 」として現存しています。
境内には三世塚というのがあり、松尾芭蕉の句が刻まれています。
(表)
俳諧元祖 芭蕉翁
二世 梅花仏
三世 廬元坊
(裏)
古池やかはづ飛こむ水の音 芭蕉翁
牛呵る声に鴫立つ夕べかな 梅花仏
住み飽た世とは嘘なり月に花 廬元坊
これは、肥後の美濃派の俳人たちが廬元坊の13回忌に際して建てた碑で、宝暦9年(1759年)の建立というたいへん古い物。
ちなみに梅花仏(ばいかぶつ)とは芭蕉十哲の一人・各務支考(かがみしこう)のこと。廬元坊(ろげんぼう)はその後継者。
◎一町一寺巡り案内板より◎
当寺は福井県永平寺を本山とする曹洞宗の寺として寛永9年(1632)、細川忠利公肥後入国の際に随伴した宗善が、当地に建立しました。
天正年間(1573~1591)の頃は隈本城主、城[じょう]越前守[えちぜんのかみ]親賢[ちかまさ]の茶屋(別荘)で、城氏没後は旧臣平川氏の草庵でした。
境内には、放牛地蔵(4体目)、西南戦争で亡くなった方々の墓などがあります。
毎年8月16日(地獄の釜のあく日)には、境内で町内手作りの「えんま祭り」が行なわれ賑わっています。