阿弥陀寺

 

 

阿弥陀寺(あみだじ) 細工町

 

加藤清正が熊本城築城の折、古町地区に招いたお寺のひとつ。

 

建立当時は白川岸にあり、そのため周辺地域は阿弥陀寺町と名づけられました(現在は東阿弥陀寺町・西阿弥陀寺町・紺屋阿弥陀寺町が残っています)。

しかし、度重なる白川の洪水に遭い、お寺は現在の細工町に移りました。

 

敷地に入るとまず本堂前に立つ、一対の仁王像が目に入ります。勇壮な構えの見事な石像ですが、これはもともと北岡神社(熊本市春日)にあったもの。明治元年の神仏分離令により、細工町の本覚寺に移り、本覚寺が廃寺(のち五福小学校)となったため、さらに阿弥陀寺に移されたと考えられています。

 

また、敷地内には阿蘇大宮司惟光の墓、飯田覚兵衛の墓があります。

飯田覚兵衛は築城の名手であったことから、現在でも建築業者・大工職の方が参拝に訪れることもあるとか。

 

◎一町一寺巡り案内板より◎

 

当寺は浄土宗阿弥陀寺といい、天正の頃(1573~1592)、清正公領国の時、飽田郡南阿弥陀寺村より白川のほとり(今の東・西・紺屋阿弥陀寺町付近)に移転し建立されました。しかし度々の洪水から、慶長の頃(1596~1615)に現地に移っています。

 

当寺には熊本城の築城の名手と言われた清正公四天王のひとりである飯田覚兵衛・長尾豊前・清水家などの墓が祭られています。

 

また、文禄元年(1592)秀吉の命で12歳で命を落とした大宮司阿蘇惟光氏の墓も祭られています。

 

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