■400年の歴史ある町・古町地区
古町は、加藤清正が熊本城築城の際に作った町人町で、たくさんの商人・職人が住んだ町です。熊本城完成が1607年といわれていて、古町もその頃生まれました。400年以上の歴史がある古い町です。
碁盤の目状の町割が特徴で、一辺約120mの正方形の区画が並んでいます。しかもその正方形の1区画ごとにお寺が1つ置かれ(一町一寺制)、周りを町屋が囲みました。
このような形がとられたのは宗教上の理由というよりも、軍備上有効だからという意味合いの方が強かったようです。
町屋とは、道路に面する手前が商店となっていて奥に住居がある、商住一体の建物の総称で、間口が狭く、奥に細長い(いわゆる鰻の寝床)、通り土間や坪庭がある、などの特徴がある家屋です。
現在、町屋の価値を見直し、保存・再活用したいという住民の声もあり、熊本県・市との連携が計画されています。
■古町ってどんな町?
ところで、現在は「古町」という住所はありません。加藤清正が熊本城を作った当時、市町86町は「坪井」「京町」「新町」「古町」に大別され、さらに「古町」について以下のような記述が見られます。(「肥後國誌」より)
- 【細工町の内】細工町1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、石塘町(現在の細工町5丁目)
- 【西古町の内】呉服町、西阿弥陀寺町、桶屋町、川端町、西唐人町、中阿弥陀寺町、中唐人町、鍛冶屋町
- 【中古町の内】米屋町、萬町、大工町、板屋町、魚屋町(2丁目、3丁目)、小澤町
- 【東古町の内】魚屋町(1丁目)
- 【紺屋町の内】紺屋阿弥陀寺町
そして、現在ではこの五福校区あたりに古くからある町を総称して「古町」と呼んでいます。
五福校区には全部で16の町があります。
西唐人町、中唐人町、鍛冶屋町、
魚屋町、板屋町、米屋町、
呉服町、細工町、万町、古大工町、
紺屋阿弥陀寺町、東阿弥陀寺町、西阿弥陀寺町、
小沢町、古桶屋町、川端町
これらの町名は、そこに住んだ商人・職人にちなんだものが多く、400年前から変わっていません。
■明治~大正時代には熊本の中心地でした
古町ができた江戸時代は、「士農工商」という身分制度があり、古町の住民である「工」(職人)や「商」(商人)は、身分の低い職業でした。しかし明治時代になるとこの身分制度は廃止され、手に職のあった職人や財を成していた商人たちが、一気に力を発揮しました。
ここ古町は商業・経済の中心地となり、数々の商店、卸問屋、製造業、銀行、デパートなどが立ち並びました。芝居小屋や映画館などの娯楽施設も多かったようです。明治時代~昭和初期まで栄華を極めました。
■「呉服町」だけど「五福」?
町の発展とともに、古町の住民たちは豊富な資金を教育に注ぎました。寄付を募って、校舎を建てたり校地を拡張したりしたことで、県内でも早い明治8年に「五福小学校」が生まれました。
呉服町に正門があったことから本来は「呉服小学校」となるべきでしたが、当時の県令(今の県知事)が中国最古の歴史書「書経」から引用して「五福小学校」と名付けました。
「五福」とは人間の幸せに必要な五つのキーワードのことで、
- 「寿」…寿命が長いこと
- 「富」…財力が豊かなこと
- 「康寧」…健康で心が安らかであること
- 「攸好徳」…徳を好むこと 慈愛に満ち寛大であること
- 「考終命」…災難や気がかりなく落ち着いた心持ちで天命を全うすること
特に「好徳」が重要とされ、「徳」があってこそ他の四福が伴うとのことです。