西福寺(さいふくじ) 小沢町
細川家の菩提寺。
映心院殿、光含院殿、臨泉院殿、興願院殿などのお墓があり、清涼院殿自筆の写経など細川家ゆかりの寺宝が伝わっています。
細川家お抱えの絵師、矢野良勝・矢野良敬のお墓、加藤家の家臣、 井上大九郎 のお墓、肥後狂句の元祖、自松軒首藤久喜麿のお墓などもあります。
また、熊本県内最古の「庚申塔」が残っています。
「庚申塔」とは、庚申信仰により建てられた塔のこと。庚申の日に眠ると体内から虫が出て、人の悪事を神に告げ口するから、この日は誰もが夜通し起きていたといわれています。
西福寺の「庚申塔」は明応8年(1499)に建てられた県内最古のもの。
◎一町一寺巡り案内板より◎
当寺は浄土宗東光山[とうこうざん]了雲院[りょううんいん]松平西福寺[まつだいらさいふくじ]といい、慶長の頃(1595~1623)、加藤忠広公ご内室(崇法院殿[すうほういんでん])が、江戸の松平西福寺より招いた釈誉上人[しゃくよしょうにん]によって開かれました。
ご内室は徳川家康公の孫姫で、蒲生秀行公(蒲生氏郷[うじさと]公と織田信長公の次女冬姫の嫡男)の嫡女。父秀行公の死後、祖父家康公のはからいにより伯父徳川秀忠公の養女となり、忠広公にお輿入れされます。
ご内室はその徳川家康公・秀忠公・蒲生秀行公をはじめ、徳川家・蒲生家・加藤家の菩提をこの寺で弔いました。
その後、細川宗孝[むねたか]公の母君、映心院殿が入国されると、当寺を細川公の菩提所と定められ、細川護久[もりひさ]公・護成[もりしげ]公の母君ほか諸名家の葬儀を行い、その墓所があります。